【開催レポート】第34回 キャリア・コロッキアム 「『ネット配信者』から、ホームレスを経て、大学講師になるまでの実体験からみる、キャリア選択のアプローチ」

100年人生に向かう多様なキャリアとキャリア支援のあるべき姿について学び、互いに研鑽する場として当NPO法人が開催しているキャリア・コロキアム。

第34回は、2026年10月22日(木)19:00~20:45に、Zoomによるオンライン形式で開催されました。

NPO会員・非会員が参加し、職業名が後から生まれる時代のキャリア選択や、挑戦を支える教育・支援のあり方について活発な議論が行われました。

第1部「ネット配信者から大学講師になるまでの実体験からみるキャリア選択」講演

第1部では、北海道観光大使、北海道文教大学非常勤講師、株式会社オープニングアクト代表取締役のバラン氏による講演が行われました。

バラン氏は、ご自身の歩みを「多様なキャリアの一つの具体例」「サンプル数1」と位置づけ、成功事例だけを取り出す生存者バイアスにも注意しながら、経験から一般化できるキャリア選択と支援のヒントを提示されました。
現在は、法人や地域のブランディング、プロモーション、プロデュースを行う一方、北海道文教大学でマーケティング論を担当し、「人から選ばれるためにはどうすればよいか」を学生に教えています。北海道の地域プロモーションに携わり、北海道観光大使も務めるなど、その活動はネット配信、芸能、映画、企業、行政、地域、教育へと広がっています。

ネット配信者という職業名がなかった時代からの挑戦

バラン氏が動画配信に注目したのは、米国でYouTubeが発表された2005年でした。

当時から映像制作に取り組んでいたバラン氏は、YouTubeが将来広く普及すると考え、「なぜ人はこの動画を見るのか」を研究し始めました。
翌2006年には、日本発の動画共有・配信サービスであるニコニコ動画が登場し、映像配信を職業にするための知識や仕組みを学び続けました。

約6年間の準備を経て、2012年頃には公式の有料チャンネルを持ち、ネット配信者として活動を開始しました。
ネット配信によって収入を得ること自体がまだ珍しく、「ネット配信者」や「YouTuber」という職業名も十分に定着していなかった時期です。
しかし、活動を継続しても生活を支えるほどの安定した収入にはつながらず、働いて生活を立て直すか、配信を続けるかという選択の中で、バラン氏は後者を選びました。

その結果、住まいを失い、ホームレス生活を経験することになります。
通信環境だけは維持しながら、「なぜ自分の配信では成果が出なかったのか」「これまで研究してきたことは本当に間違っていたのか」を考え続けたといいます。
現在から振り返れば、生活保護、フードバンク、住居確保給付金など、困窮時に利用できる制度を当時ほとんど知らなかったことも、大きな反省点として語られました。

自分で成果を出せなかった経験を、他者の可能性を開く力へ

2018年頃、生活が困窮し、病院で療養していた時期に、ニコニコ動画時代の知人から「YouTuberを始めたい」という相談が届きました。
バラン氏は、自分自身を対象にすると主観が入り、うまくいかなかったのではないかと考え、それまで研究してきた知識を他者に応用することを決めました。
この瞬間、ネット配信者からアーティストプロデューサーへの転換が始まりました。

プロデュースしたのは、後に総フォロワー350万人規模となるアーティストYouTuber「虹色侍ずま」です。
音楽だけを届けるのではなく、歌う前のトークを通じて演者自身を好きになってもらう構成を取り入れたところ、約2か月でミリオンヒットが生まれました。
動画では音楽だけでなく、人柄や関係性も伝えられるため、ファンが生まれやすいという仮説が成果につながったのです。

この成功によって、バラン氏は大手YouTuber事務所UUUMに所属し、YouTubeプロデューサーとして活動するようになりました。
その後、音楽とは異なる分野でも再現できるのかを確かめるため、阿波踊り、ホラー映画、和楽器などを題材とした企画にも取り組み、海外公演や大きな再生数、メディア掲載などの成果につなげました。

ここで、「自分の強みはYouTubeそのものではなく、人や物を人から選んでもらう技術にある」という自己理解が形成されていきました。

分野を越えて転用された「人から選ばれる技術」

バラン氏は、YouTubeで得た方法が他の媒体や対象にも通用するのかを、次々に試していきました。
映画分野では、作品を通じて地域文化やふるさと納税品の魅力を伝え、関連商品の売上増加や海外での上映、教育機関での教材活用などにつなげました。芸能分野では、俳優、モデル、クリエイターなどに「選ばれるための考え方」を教え、その後、武道館やパリ・コレクション、テレビドラマなどで活躍する受講者も現れたことが紹介されました。

さらに、多数の視聴者から選ばれるだけでなく、特定の意思決定者から選ばれることにも応用できるのかを試みました。
企業間の提案では、相手の心が動く場面を事前に考え、完成イメージを具体的に示すことで、企業とサッカー日本代表とのパートナーシップ締結の支援につなげました。
ここから、芸能分野の講師という役割は、法人ブランディングやコンサルティングという新たな職業名へと変化していきました。

対象は、企業だけでなく、NPO、行政、海外関係者、メディアへも広がりました。
APEC関係者が八王子を視察した際には、日本側企業のプロモーターとして再生可能エネルギー技術を紹介しました。
プレスリリースの作成では、動画のタイトルや構成を考える時と同じく、最初に関心を引く要素を置き、読み手に続きを選んでもらう方法を応用しました。
動画のサムネイル、イベントのポスター、プレゼンテーションの冒頭、広告の構成は、媒体が違っても「相手に見てもらい、選んでもらう」という点で共通していたといいます。

地域分野では、北海道の鶴居村と標津町をまたぐふるさと納税返礼品の企画、地域イベントの集客、映画を活用した地域文化の発信などに取り組みました。
こうした活動が評価され、北海道観光大使となり、大学ではマーケティング論を教えるようになりました。
ネット配信者、プロデューサー、経営者、映画関係者、法人コンサルタント、地域プロモーター、観光大使、大学講師と肩書きは変化しましたが、実際に行ってきたことは一貫していたと振り返られました。

職業名ではなく、「何を実現したいか」を起点にする

バラン氏は、自分から「YouTubeプロデューサー」「経営者」「観光大使」と名乗ることを目標にしたわけではなく、取り組みを続けた結果として、周囲が後から職業名や役割を付けたと説明されました。
新しい技術や社会の変化によって、これまで存在しなかった職業が生まれる時代に、「将来の夢」を既存の職業名だけで語ることには限界があるのではないか、という問題提起です。

バラン氏が掲げてきたのは、「世界から才能の無駄遣いを減らす」という目的でした。
才能や魅力があっても、人に伝わらず、選ばれないために埋もれてしまう状況を減らしたい。
その目的を実現するために、ネット配信、芸能、映画、企業、地域、教育という異なる場で、「人から選ばれる技術」を使ってきたと整理されました。
職業名を先に決めるよりも、自分は何を実現したいのかを考え、そのために必要な行動を積み重ねる方が、変化の大きな時代には適しているのではないかというメッセージでした。

キャリア選択を広げる「抽象と具体」の往還

講演後半では、自身の特殊な経験をそのまま模倣するのではなく、誰にでも応用できる考え方にするための提言が示されました。第1の提言は、自らの経験や能力を、具体化と抽象化の間で行き来させるトレーニングです。

例えば、「YouTubeで成功した」という経験を具体化すると、「タイトルを付ける」「サムネイルをつくる」「冒頭で関心を引く」「人柄が伝わる構成を考える」といった個別の能力に分けられます。
一方、抽象化すれば、「人にコンテンツを選んでもらう」「相手が価値を感じる形で魅力を伝える」「埋もれている才能を見つけてもらう」という、別の仕事にも転用できる能力として捉えられます。

このように経験を言語化できれば、「YouTubeができます」と伝えてYouTubeの仕事だけを得るのではなく、企業の提案、地域の発信、教育、営業など、異なる課題に対しても自分の能力を結び付けられます。
サッカーが好きな人であっても、競技をすること、戦術を考えること、観客を集めること、仲間と活動することのどこに魅力を感じているかを具体化し、それを抽象化すれば、サッカー以外の仕事にも可能性が広がります。

バラン氏は、こうした抽象と具体を往還する力を、就職活動の直前だけでなく、キャリアの早期から育てる必要があるのではないかと提起しました。
専門外であることを断ったうえで、国語や総合的な学習の時間など、学校教育の中で、自分の経験を振り返り、意味を取り出し、別の場面に応用する練習を行う可能性にも触れられました。

「まずやってみる」を支える現実的な知識と実学

第2の提言は、「まずやってみる」という姿勢を、精神論だけで終わらせないことです。
バラン氏は、自身が失敗を恐れず挑戦できた背景には、極端な困窮を経験しても生き延びられたという体感があると振り返りました。
しかし、誰もが同じ経験をすべきではなく、むしろ挑戦に失敗した後に何が起こり、どのような支援を利用できるのかを、事前に具体的に知ることが必要だと述べました。

生活保護、フードバンク、住居確保給付金などの支援があることを知っていれば、失敗を「すべての終わり」と捉えずに済みます。
同時に、挑戦が成功した後には、確定申告や税務、契約、事業運営など新たな実務が必要になります。
失敗後の生活だけでなく、成功後の現実も具体的に学ぶことが、安心して一歩を踏み出す条件になるという指摘です。

また、知識だけでなく、キャリアの早い段階で小さな挑戦と失敗を経験し、その意味を振り返る実学の機会が重要であるとされました。
挑戦すれば、期待した成果が得られるか、失敗から新しい学びが得られるかのいずれかが残ります。
実際に行動し、振り返り、次の行動に修正する経験が、複雑性の高い時代を生きる力になると説明されました。

AIの発達によって既存の仕事が変化し、新しい職業名が次々に生まれる時代には、特定の職業名に自分を固定するのではなく、自分の能力を捉え直し、別の課題に転用する力が一層重要になります。
バラン氏は、抽象と具体を往還する自己分析と、挑戦を可能にする現実的な知識・経験の二つを、今後のキャリア支援の柱として提案されました。

第2部「できないよりもやってみる」を考えるグループワーク

講演後の第2部では、諏訪康雄理事長から、キャリアを考えるための問題提起が行われました。

諏訪理事長は、バラン氏のキャリアを、時代の波の中に自ら飛び込み、試行錯誤しながらキャリアを構築してきた歩みとして捉えました。
多彩な職業遍歴は、一見すると万華鏡のように見えますが、「人を引き付け、選ばれる形をつくる」という一貫性があることが指摘されました。

そのうえで、キャリアを考える代表的な枠組みであるWILL・CAN・MUSTが紹介されました。
個人の意思であるWILLから始め、必要な能力であるCANを形成し、市場や社会から求められるMUSTにつなげる考え方がある一方、日本の就職や組織選択では、先に市場・組織のMUSTを見て、そこで必要なCANを身に付け、自分のWILLを考える場合も多いと説明されました。
どちらか一方が正しいのではなく、個人主義的な発想と集団・組織を重視する発想が、一人ひとりの中で組み合わさっているという整理です。

さらに、仕事の評価には、収入や売上として見えやすい経済的評価、周囲からの信頼や評判として形成される社会的評価、自分自身が大切だと思う個人的評価があることも示されました。
バラン氏のキャリアでは、個人的な関心と社会的なつながりが先行し、後から経済的な評価や職業名が付いてきたのではないかとの見方が示されました。

こうした問題提起を踏まえ、ワークショップのテーマとして提示されたのは、次の問いでした。

「できないよりもやってみる」。あなたの場合はどうですか?

参加者は2班に分かれ、20分間のブレイクアウトセッションで、それぞれの経験や考えを話し合いました。

第1グループ:やりたいことは、行動の後から見えてくる

第1グループでは、これまで「できない」と思うことにも比較的挑戦してきたという参加者の経験や、これからさまざまな経験を積みたいという学生の目標が共有されました。一方で、「明確にやりたいことを持っている人は、実際にはそれほど多くないのではないか」という意見も出されました。
やりたいことを最初から完全に決める必要はなく、動いた結果として興味や目的が後から見えてくることもあるため、過度に焦る必要はないという指摘です。

議論は、講演で示された「抽象と具体の往還」にも及びました。
抽象化は簡単ではなく、日本の教育の中で十分に訓練されていないのではないかという意見が出されました。
諏訪理事長からは、抽象と具体は「理論と応用」とも言い換えられ、時間軸を入れて考えると理解しやすいとのコメントがありました。
日々の具体的な行動を積み重ね、後からその足跡を一言で表すことが抽象化であるという説明です。

第2グループ:挑戦の前に立ちはだかるリスクへの不安

第2グループでは、日本の学校教育や社会の中では、挑戦する際にまずリスクを考え、なかなか一歩を踏み出せない傾向があるのではないかという議論が行われました。
「心配し過ぎなくてもよい」と言われても、バラン氏のように失敗を恐れず行動するメンタリティーを簡単には持てないという率直な意見です。

参加者からは、バラン氏がそのような姿勢を身に付けたきっかけは何だったのか、また子育ての中で、失敗を過度に恐れない人をどのように育むことができるのかという質問が寄せられました。

「失敗しても生きていける」を、どのように共有するか

質問に対し、バラン氏は、住まいや仕事を失っても生き延びられたという経験が、「失敗しても必ずしもすべてが終わるわけではない」という感覚につながったと答えました。
世間では大きな失敗のように語られることでも、実際には別の進路や公的な支援があり、人生を立て直すことはできます。大学受験に失敗しても別の学校や就職の道があることと同じように、選択肢は一つではないという説明でした。

同時に、こうした感覚を、極端な困窮を経験させることなく、どのように一般化して伝えるかは難しい課題であるとも述べられました。
公的制度を知ること、小さな挑戦と失敗を経験すること、失敗後に振り返って次の行動を考えることなどを組み合わせ、安心して挑戦できる支援にする必要があります。
グループからの問いによって、講演の提言をさらに深める新しい切り口が得られたと、バラン氏自身も振り返りました。

時間軸で見えてくるキャリアの一貫性

全体共有の最後に、諏訪理事長は、バラン氏の多彩な歩みを時間軸で捉えると、時代の変化に対する感性、まず試してみる行動、経験を次の分野へ展開する姿勢という、はっきりとした傾向が見えてくると総括しました。
その時々には何をしているのか分かりにくくても、後から振り返ると、一貫したキャリアの軌跡が浮かび上がります。

また、趣味から始めた活動が、アマチュア、セミプロ、プロへと発展し、後から職業として認識されることがあると指摘されました。
YouTuberやプロゲーマーは、その典型的な例です。技術の進歩によって、趣味と仕事、アマチュアとプロの境界が縮まりつつある分野では、若い時期から関心を持ったことに取り組み、自分の特性や得意技と結び付けることが、新しいキャリアの可能性につながります。

今回のキャリア・コロキアムは、ネット配信者、ホームレス、プロデューサー、経営者、地域プロモーター、大学講師という異色の歩みを、単なる成功物語として聞くのではなく、その背後にあるキャリア形成の仕組みを考える機会となりました。

職業名ではなく実現したいことを軸にすること、自らの経験を具体化・抽象化して別の分野に転用すること、失敗・成功の軌跡を現実的に学んだうえでまず試してみることが、多様なキャリアを切り開くための重要な要素として示されました。

同時に、挑戦を個人の勇気だけに委ねるのではなく、教育機関、キャリア支援者、行政、周囲の大人が、自己理解の方法、実学の機会、失敗後の支援制度、成功後の実務を具体的に伝える必要性も確認されました。
「できないよりもやってみる」という姿勢を、無謀さではなく、学びと支援に裏付けられた行動へと変えることが、これからのキャリア支援に求められています。

次回のキャリア・コロキアムは、2~3か月後をめどに開催する予定であることが案内されました。