《諏訪康雄先生((法政大学名誉教授)のシリーズエッセイ6》 「終わらない新卒採用をめぐる甲論乙駁」

「終わらない新卒採用をめぐる甲論乙駁」

 就職協定が廃止されてから20年以上の長きにもわたって、採用・就職活動の時期やあり方をめぐり、実務における試行錯誤が続いている。結果、大学の教授会では、企業の採用活動(学生の就職活動)をめぐる不満がよく議論された。

 採用にあたる企業は、
1)地頭がよく、ストレス耐性のある体育会系人材を重視するが、大学での学業成果である成績を尊重すべきだ
2)新卒一括採用をしているが、一時期に集中しないで通年採用にすべきだ
3)人事部統括で採用を進めるが、採用は各部署ごとにすべきだ
4)専門性を軽視しているが、個々人の専門的職業能力(適性・知識・技術技能・経験など)を評価すべきだ
5)専門性は見極めようがないというが、そのためのインターンシップの機会を増やすべきだ

などの意見が、強く主張されていた。

 もちろん、議論好きが多いだけに、ただちに反論が出る。
1)ビジネスの現場は、体育会系人材が幅を利かす傾向があり、トップで活躍する人には体育会系人材が多い
2)通年でダラダラと採用活動されたら、現在以上に学業軽視になりかねない
3)若者は可塑性があり、変化の余地が大きいのに、各部署ごとに囲い込まれて、成長の可能性が狭まってしまう
4)大学(学部教育)はせいぜい専門的能力の基礎を形成できるだけなので、全面的依拠などかえって困る
5)海外の2か月などのインターンシップと違い、ごく短期が主流なので、専門性の涵養や見極めはできない

 こうして短期集中決戦が続き、その時期を前倒ししても、後ろ送りしても、どのみち4年生の出席は落ち込み、就職が決まらない学生はいつまでも活動を継続するほかなくなる。
 いろんな極論も出てくる。
1)体育会系学生について、もっと学業条件・卒業条件を厳しくし、名実ともに文武両道とさせるべきだ

2)在学中の採用・就職活動を禁止し、学業条件・卒業条件を厳しくし、卒業後に始めるようにさせるべきだ
3)そもそも定期採用(見込み採用)などやめ、空席があるたびに募集採用するようにさせるべきだ
4)学部卒はジェネラリスト候補、大学院卒は一格上のスペシャリスト候補とし、スペシャリストの社会的評価、報酬などを上げさせるべきだ
5)ワンデー・インターンシップなどはインターンシップと呼ばず、長期のそれで専門性を高めさせるべきだ

 これへの反論もまた、極端に振れる。
1)文武両道は理想だが、実際にはアブハチとらずに終わるだろうし、そもそも小中高校時代からの勉学習慣や社会のニーズを大学だけで簡単に変えることはできない
2)卒業後の採用・就職活動となれば、若年失業率を高めるばかりに終わるが、その間の生活費などを国が補填できるのか
3)空きポスト採用では、知識・技術技能・経験などのばらつきが大きくなり、組織として業務の一定水準が維持できなくなる
4)今の大学院に高度な実務処理に対応できるスペシャリスト育成など無理だし、今後もそれは困難だ
5)インターンシップという名称は形式にすぎず、レッテル基準を変えても、企業活動の自由からして無意味だ などと続く。

 そんな議論を聴きながら、よく思ったものだった。
1)欧米でも「学校時代の劣等生が会社を起こし、優等生はそこで働く」と揶揄されるように、学校と社会とでは思考行動様式、文化の違うことが通例で、会社や役所といった組織が体育会系を優先するとしたら、学校時代に一足先にこれに適応する準備に精だす学生が出てきてもおかしくない
2)卒業後の採用・就職活動に踏み切ったとしても、青田買いをする企業やこれに応じる学生が出てきてしまう
3)各部署の責任者は現場の短期かつ狭小となりがちな運営感覚で採用しようとするだろうから、部分最適にはなっても、全体最適でなくなるリスクが高まってしまう
4)専門性重視には、大学・大学院教育の見直しが不可欠で、現状のままでは対応できない学部・研究科が多いことや、多くの教員が歓迎しそうにないし、適性も疑わしい「教育負担の増大」をどうするのか
5)専門性重視の採用では、インターンシップだけでなく、採用見極めの目的で1週間ほど現場で働かせてみて、学生には現場の雰囲気や相性を実感させ、社員には当該学生が受け入れるべきかどうかの360度評価をさせるなどの方向に進むのではないか
(そこでは、一括集中採用方式など取りようもないし、人事部も対応しきれない)

 さらに、日本型の雇用慣行と照らし合わせれば、メンバーシップ型からジョブ型への移行は、そう簡単でないことがわかる。
1)一括採用、一括導入教育訓練、一括配置、一括異動(定期異動)、年次管理などはどれも、ジェネラリストとして組織忠誠心をもって長く働いてもらう候補者選択の知恵として、地頭やストレス耐性を重視する採用方式が企業や役所に広く行きわたっている
 (学業成績だけからは判別しがたいと思われている)
2)通年採用だと、たんに採用の手間がだらだらと続くだけでなく、その後の教育訓練が面倒になり、一括配置、一括異動(定期異動)、年次管理などの、これまで組織にとって効率のよかった方法が採れなくなる(他社に逃げられるリスクも高まる)
3)ジェネラリスト志向の場合、各部署の責任者・管理者が必ずしも当該領域の専門家でない場合が多く、しかも2~3年で定期異動していくなかで、各部署につき責任をもって一貫した態勢づくりができないまま、採用権限だけを付与するわけにはいかない
 (せいぜい採用に参与させるだけとなる)
4)専門性重視には、たんに学校教育や自社の態勢を整えるだけでは難しいところがあり、専門職の外部労働市場が形成され、専門職団体などによる水準確保などが必要となる(スペシャリストにふさわしい報酬・昇進体系なども構築する必要がある)
5)専門性見極めには、そのための新たな仕組みが必要となる(社内の目利き、社外のスペシャリストやコンサルタントなどの協力、長期インターンシップや1週間ほどの選考期間、形式的でない試用契約、採用後のスペシャリストとしての処遇や場合によるジェネラリスト転換の余地などが考えられる)

 現行方式への不満は、大学教員の場合、
1)学校秀才型で文化系上がりも多い専門職であり、
2)一括採用・定期採用はなく、パラパラと空席採用がなされ、
3)学部教授会という各部署が採用に責任を負い、
4)研究者・教員としての個々人の専門的職業能力(適性・知識・技術技能・経験など)が決め手となり、
5)専門性の見極めには、長期の大学院教育、ポスドク経験(院修了後の有期研究員や助教経験)、海外留学経験、取得学位、発表論文などの判断要素も多い
といった自己の経験が、無意識のうちに、多く反映していよう。

 これと同様に、役所や企業の日本型雇用慣行の維持には、地頭のよい、ストレス耐性の強い、体育会系でトップまで昇りつめた体験が、強く反映しているようだ。
現に、日本を代表する企業が集合する日本経済団体連合会の会長・副会長は、それぞれが体育会系出身かどうかは不詳であるが、少なくとも全員が日本人、男性、転職経験なく、 最年少でも60代前半という「金太郎飴」現象があり、こうしたことも影響していることだろう。

 問題は、否応なしに、進展するイノベーション、グローバル化、知識社会化、少子高齢化などのなかで、いつまで、どこまで、日本型雇用慣行が妥当性を持ち続けられるかである。
女性活躍では国際的に「失格」の烙印が押されているし、グローバル化対応の人材不足も深刻だし、増えていく高齢者が働かないおじさん・おばさんにならず、本来の持ち味を発揮する方式も手探り状態である。

 新卒一括採用をめぐる右往左往のように、パソコンのOS(オペレーティングシステム)はそのままに、アプリ(応用ソフト)だけを入れ替えるといった、小手先の修正だけでは最適解に達せそうにないが、どう変えていくかの改革プロセスは、いまだ不透明である。

(本稿の意見は、執筆者の個人的なものであり、当NPOの見解ではありません)