《諏訪康雄先生((法政大学名誉教授)のシリーズエッセイ7》 「アスリートのセカンドキャリア」

「アスリートのセカンドキャリア」

「番茶も出花」といった時期に、若くしてデビューするテレビタレントは、数年経つかたたないかのうちに第一線から姿を消す人が大部分です。それなりに成功したとしても、華の時代は早く来て、さっと去っていきます

人生の初期、18歳ころにピークに達する体力が勝負を決めるところの多いスポーツにおいても、アスリートの出番は短いことが通例です。当初希望したキャリアであり、メインキャリアと考えていたものが、早ばやと幕引きを迎えます。Jリーガーの平均引退は25歳前後、プロ野球選手でも30歳前後。普通の会社員だったら、まだ若手、よくて中堅社員になりかけといったところで、お払い箱です。

引退後は、実家に戻れば家業があって、そこにソフトランディングできる人は、幸せです。また、司法試験などの資格試験にチャレンジし、見事合格した元選手とか元タレントという人は、実に立派です。しかし、普通の会社員には移行できず、非正規雇用の仕事についたり、自分でお店を開いたり事業を始めても順調にいかなかったりと、ハードランディングの末、苦しい生活を送る人も少なくありません。

子どものころからスポーツに打ち込むあまり、選手としてちやほやされても、通常の会社員として活躍するための学業面がおろそかになっていたり、一般社会でもまれた経験が不足していたりしているためだ、と指摘されることもあります。

これは本人にとってはもちろんのこと、その家族、さらには社会にとっても残念なことです。特定スポーツしかできないといったことはまずあり得ず、元アスリートにはそれ以外に多くの才能が未開発のまま眠っており、人生100年時代には、何度でもチャレンジする余地が残されているはずだからです。

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とはいえ、年功序列で60歳定年、さらには65歳までの再雇用といったことが、興業の世界やスポーツ界において成立する余地があるかというと、人気稼業というエンターテインメント市場における需要によって出番も報酬も決まってくる以上、日本型雇用慣行のような制度を採り入れられるのは、せいぜい表舞台で活躍する人を縁の下で支えている普通の会社員に近いか、会社員そのものである、裏方の現場の人たちの一定数だけでしょう。

こうした労働市場の仕組みと実態を知っているアスリートのなかには、もちろん、選手時代から自分でキャリアデザインをし、着実に将来キャリアを考えている人たちがいます。サッカー選手だった中田英寿さんや野球選手だったイチロー(鈴木一朗)さんは、選手時代からこつこつと外国語や経営の勉強など将来に向けた準備を積み重ねていたそうですし、そこまで有名でなくとも、業界やその周辺で生きていくために必要なコーチングやマーケティングなどの勉強をして、学校やクラブの監督になったり、スポーツ用品の会社に雇用されたりする人はおられます。

やがては必ず訪れる「セカンドキャリア」に直面する時期。これを先取りし、自分なりのキャリアデザインに沿って、自分なりの知識・技術技能・経験を積み重ねていく。当面の試合に向けて全力を傾けなければならないアスリートにとって、その精神的、時間的余裕はないことも多いでしょう(私たち凡人でさえ、彼ら/彼女らに比べずっとゆとりがあったにもかかわらず、期末試験の勉強を期初から着々と進めていたような人は少なく、夏休みの宿題帳をさっさと片づけていた人も少ないのではないでしょうか。私はいつも8月末に地獄を見ていました…)。

いうまでもなく、日々の勉強法の極意は、①天引き貯金のように毎日、毎週の時間からどこかを確保して、あらかじめ将来に向けての準備に充てる、②小銭貯金箱のように毎日、毎週における課業と課業の隙間に生まれる小さな時間にやることを準備しておいてそれをちょこちょこと積み重ねることであり、さらに、③どこかでまとめて時間がとれる場合には将来準備を優先課題の上位に位置づけ、広く学び、深く考える時機を設けることができればなお素晴らしい、といわれています。

でも、こんな努力を自分だけで進められる人は、そう多いはずがありません。その結果、アスリートを含め特別の才能を開花させたタレントたちでさえ、セカンドキャリアに苦労することが多いのです。

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では、どうしたら良いのでしょうか。

基本に帰れば、やはり《共時・共場・共験・共友》(きょうじ・きょうじょう・きょうけん・きょうゆう)という学びの基本方式を踏まえることでしょう。

同じ時に(共時)、同じ場所で(共場)、同じ経験をし(共験)、そうした仲間たちと友人・知人関係を作っていく(共友)ということの、人生における重要性を説いた言葉です。

学校でも、職場でも、地域でもどこでも、とても活気があり、人材が育っているところには必ず、共時・共場・共験・共友の原則が生きています。資格試験、語学勉強などでは、一人で別々に準備した人たちと、一定の仲間たちと一緒に準備した人たちとでは、合格率、得点率が違うという実証データが沢山あります。

一人では続けられなくても、皆と一緒だと、継続できます。一人では難問に苦渋しても、誰かにヒントをもらうことで前に進め、健全なライバル意識がやる気を高めます。しかも、こうして生まれた人間関係は終生にわたる財産となる可能性を秘めています。

アスリート団体は、最近、セカンドキャリアへの対応を重要な課題の一つと捉え、選手各人がその特徴や課題を学び、それにむけた準備を開始できるように、教育の場を設け始めています。

こう考えてきますと、若くして輝くタレントたち(アスリートもその一員)ばかりでなく、普通の人びとにとっても、社会に出たのち、人事異動、出向、昇進昇格、転職といった大なり小なりのキャリアチェンジに向けて、一定のキャリア準備をあらかじめしておくことは、とても大事だと思えます。

そして、一人ではできなくとも、みんなと一緒だと続けられるという生涯学習の特質を考えると、社内外の勉強会に属したり、専門学校・大学・大学院などに通ったり、あるいは、本NPOのようにキャリアを考える機会と情報と友人・知人をみつける場に参加することは、意義のあることと思われます。

とりわけ、天下のトヨタ自動車でさえも、従来型の自動車産業がある朝突然、消え去るかもしれないと危機感を高め、AIやロボティクスやデータ経済化により職場、企業さらには業界の再編成が非常な速さで進みそうなここ10年、20年なのです。そうを考えると、《共時・共場・共験・共友》という草の根におけるネットワークが密になることは、人生100年時代だといって、いたずらに不安を抱え、右往左往することを少なくするのに貢献することではないでしょう。