《キャリア権雑録シリーズ4》 相手のある話

《キャリア権雑録4》
相手のある話

 それぞれの人のキャリアを尊重すべきだというと、決まって、個々人が勝手なことをいいはじめたら、収拾がつかなくなるといった反論が出ます。確かにその通りでしょう。相手のある話だからです。何事も自分の思いだけでは進まないのが、世の常です。

 この点、組織にとってのキャリアとは、多くの社員・職員が進む「コース」か「トラック」のこととなります。煎じ詰めれば、どんなキャリア・トラックを用意して、人びとを惹きつけ、人びとを育成し、力量を発揮してもらうか、に尽きるでしょう。これが適切になされていない組織では、うまく人材を採用できず、採用できても育てられず、育てられても保持し続けることがむずかしくなります。

 ところが、組織を動かす人間にとっては、そんな面倒なことをしなくとも、自らの、その時々の課題に応じて、自由に最適な人材を選ぶこと ができることこそが、ひとつの夢となります。

 たとえば、ローカルテレビ局やケーブルテレビ局の経営者だったら、一度や二度は、こんなことを夢想することでしょう。相場よりもずっと安い報酬で、当代一流のプロデューサー、ディレクター、シナリオライター、その他の裏方、そして売れっ子のタレントを取り揃えることができ、その人たちが意気込んで仕事をしてくれるならば、さぞやよい番組を制作できることだろう。そうなれば、さぞや視聴率も広告料もかせぐことができるだろうに…。

 同じように、無名大学の経営者だったら、こう思うかもしれません。相場よりもずっと安い報酬や大したことのない研究教育環境で、当代一流の研究者や教育者を呼び寄せることができ、その人たちが意気込んで仕事をしてくれるならば、さぞやよい研究や教育ができることだろう。そうなれば、わが大学の社会的な評価も大きく上がることだろうに…。

 しかし、第三者としては、こう考えてしまいます。そんな虫のよい話が実現するわけがないでしょう、と。一流の番組制作者もタレントも、実績のないローカル局などには来てくれないでしょうし、仮に呼び寄せるとしたならば、破格の報酬などの条件を用意しないといけないに違いありません。一流の研究者も教育者も、実績のない無名大学などには来てくれないし、仮に来てもらおうとしたならば、破格の報酬や研究教育環境を用意しないと無理でしょう。

 これが世間相場、世の中のしきたりです。ある日突然、夢のような話が降って湧いてくることは、ないものです。だから実直に、分相応に、こつこつと、日々の業務をこなしていくほかはないのです。こう思って、ブランド力のない会社や組織は、それぞれに不満やうっ積した想いを抱えながら、日々の仕事に取り組んでいます。圧倒的に大部分の実情がこうだと想像されます。

 ところが、人がいざ組織管理を議論し始めると、こうした常識論が影を潜め、夢のような話が一人歩きしがちです。新卒者や転職者の採用人事、売れそうな製品やサービスの企画開発などを語るときが、そうです。当然、現実とは大きなギャップがあります。その結果、夢が大きければ大きいほど、期待が膨らめば膨らんでいるほど、厳しい現実に直面して、夢がしぼみ、投げやりな気分になったり、絶望感にとらわれたりしてしまいます。

 それというのも、相手がある話だということは、しばしば忘れがちだからです。組織が扱う対象となる個人は個人で、意識するとしないとにかかわらず、それなりにキャリアの夢や戦略をもっています。だから、それから大きく外れるような取引や条件には、簡単に乗るはずもないです。職業人生において、限られた時間とエネルギーを何に差し向けるかは、キャリア形成に大きく影響するからです。「蝦で鯛を釣る」とよくいいますが、鯛は、蝦ならばともかく、ご飯粒などには目もやらないようです。ご飯粒しか用意できない釣り人は、雑魚で我慢するしかない結果に終わります。

 組織が自分の都合だけで社員の選別やキャリア形成をしようとしても、所詮、無理な話です。社員の都合、夢や希望とすり合わせてこそ、組織として最適な人事戦略が成り立つといえましょう。若者が減り、高齢者が増え、女性や外国人の活躍を織り込んで組織運営をしていかなければならない時代には、組織の思い込みによる一方的な夢や希望を押しつけていたならば、よい人材は採用できず、意欲のある社員には逃げられるか、やる気をそぐ結果になるだけのように思われます。(KO)